2015年2月17日火曜日

20歳の自分に受けさせたい文章講義

話せるのに、書けない人の文章化を助ける本
たぶん、文章の書き方を学ぶ人の最初の1冊にはいいのでは

忙しければ

はじめに「話せるのに書けない!」のはなぜか?
ガイダンス その気持を「翻訳」しよう

の50ページだけ読むといい。

最初の1行に、「文章がうまくなる必要なんて無い」と書かれているの、1ページだけ読んで、心救われるだけでもいい。
 これを読んだとき、私はまさに、書けない所から始める本が読みたかったので興味を引き寄せれた。
私はまだ、この本で学んだことを実践には至らないが、枯れた文章を書くモチベーションが吹き返した。


 厳しく言えば、著書中の後ろは徐々に尻すぼみ間が強まっていく。
楽曲で言うと、イントロだけがかっこいい曲という感じ。
例を挙げると、ロンドン3大パンクの1つのダムドのデビュー・アルバムのニート・ニート・ニートというかな


ただし、総合的には、実践しやすいテクニックがつまっていると思う。

 一方、この本は経験をベースに書かれているためか、自叙伝のごとく作者の個人的なことが書かれている。私の趣味はこうだ。昔こんなことをしていたなど。これが無駄にスペースを食っている。
 
記憶学的にエピソード記憶は残りやすい。

将来、この本の内容を人に聞かれた場合、答えられるのは。「たしか作者はプロレス好き」とかになりそうなのが心配だ。

著書の個人的エピソード満載のビジネス書を読むのは辛い。
読んだ著書の一冊目から、著者に興味を持つのは無理だからです。


著者は本中で、頭の中の【ぐるぐる】という単語を使っている。
私は、
内なる原始的アイデア(Inner Primitive Idea)
という造語で呼ぶことにした。

誰かと共有する必要がない場合、しっくりこない言葉を使うより、自分で言葉を作るほうが理解しやすい。


あとは、細かいツッコミなどを追記しながら残しておくつもりです。

私の専門は、インターネットとコンピュータープログラムだ。
専門家の目からみて、枝葉末節に突っ込みを入れることになっても、違うものは違うと【断定したい】。

優先度で言えば、書き方の技術学ぶよりは、iPhone/Mac Bookの使い方習った方がいいと思っている。出来ることの広がりが大違いだからだ。


page50 「書く時代」が訪れる前に

この昭和の発想は全否定したい。

iPhone(スマートフォン)を誰もが持ち歩いて、写真や動画をいつでもどこでも、気軽に撮れて、インターネットで公開、友達に送信できる社会になっている。撮って「かわいー」だけ1行書いて送ればいい。

Lineのようなリアルタイムでコミュニケーション取れるツールだと、文章のみで、電話に近いニュアンスを伝えられる。わからない所は聞き返せばいいし。

page52 「書くこと」のすべてを機械にまかせる時代は来るだろうか

いずれ来る。 

いずれ書き手は写真や動画を投稿するだけですむようになる。
タイトルや、内容は、機械が自動で補足してくれる。

 すでに、アフェリエイトでお金を集める目的では、ボットと呼ばれる、自動的に流行りの商品情報を入手して、それに関する説明を自動的につくるアプリもばら撒かれ始めてる。(商品名を入力すると、無駄にAmazonへリンクした検索結果に出るやつ)

人工知能による自動論文作成の事例もちらほら出ている。
写真や動画の内容を認識できるツールは、一般人でも使えるようになってきている(速度的に辛いけど)。

IT社会の中、文章を書くという行為だけ、ここまで技術が遅れている(研究じゃなく一般への普及)のが不思議で仕方ない。


続く